ボランティア、する、しない、の差まるで…禁煙したら途端に「煙草やめろよ!臭いし体に悪い!」と言いだす人のように…
ボランティアをしたら、いきなり、上から目線で…と思われるかもしれません。
そんな身勝手さを重々承知で、正直な今の気持ちを書きます。怒らずにお読みください。
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日本には「面倒」という言葉があります。
ボランティアをする、しない、の壁は、この「面倒」という意識です。
「ボランティアしてるの?えらいね、大変だね、なかなかできないね」そして…「私はできない」と、言われます。
もちろん、朝から晩まで、自由になる自分の時間などないほど、忙しい人もいます。病気がちで自分の暮らしを支えるのがせいいっぱい、という人もいます。
でも、そうでも、ないな…と思う人。
大変、キツイことを承知でいいます。
あなたは「できない」のではない、「やりたくない」のです。
そう、自分の時間、自分のお金、自分の労力を、ボランティアに使いたい、と思わない。
時間は大事、お金も大事、エネルギーも限りがある。
その中で、何をする?と思った時に、ボランティア活動に時間を使うことは、「うーん、気がすすまない」。
なぜ、「気がすすまない」のでしょう?
「面倒」な気がする。気が重くなる。
ボランティアは、「お仕事」です。お金を一切もらわない「お仕事」。責任もあり、やるべきこともある。
始めれば、あてにもされるし、ちゃんとしてほしい、とも思われます。いい加減なことはできない。
「でしょう?中途半端にはできないから、やれない。」…それも違います。時間とやることを決めれば、あなたがちゃんとできることは必ずあります。それだけをやればいいのですから。
ある友人が私に「ボランティアはやらない。それが義務になるのが嫌だから」と言いました。
とても的を得た正直なお答えだと思いました。
自由だった時間に、決められたやることが入るのは、気が重い。
今まで、自分が自由に時間…本を読むとかケーキを作るとか、友達とランチに行くとか、買い物に行くとか、キレイに掃除をするとか、庭仕事をするとか…そういう自由に決められる時間を少し、無くすということです。それが1週間にたった3時間でも。
とくに働いている人、忙しい人にとって、3時間はとても大きな時間だから。
お金ももらわないのに、そんな面倒を、なぜするのか?
「誰かがやらないと、いけないことだから」。
社会は税金だけで、カバーできるほど、うまく回ってはいません。
ボランティアはどうしようもない部分、どうしても今、助けなければいけない部分を、補う必要不可欠な社会の仕組みです。
私は、ボランティアをしている今の自分が好きです。自己満足ですが、今の自分にもその仲間にも誇りをもっています。
自分がやっていることで、犬が1匹、幸せになる、そう思っただけで、自分が死んだ時、やってよかったな、と思えるような気がします。大げさにいえば、自分の生きてきた意味があるのでは、と思えます。
その自己満足が、お金に替わる「やりがい」です。
ボランティアは、すべきだと思います。
自分に、ちょっと余裕のある時間があるのならば。
少なくとも、1度は。少なくとも、生活のごく一部は、なにかしらのボランティアのために使うべきだと思います。
清掃活動でも、子供の読み聞かせでも、もちろん犬猫関係でも、なんでもいいから。
「お金をもらう仕事」でもない、「義務」でもない、「趣味」でもない、ボランティアを。
自分が苦痛でないもの。やっていて、楽しいと思えるもの。
こんなことを言うと、怒られますが、たぶん、いろんな役員を引きうけるのとは違って、やってみると楽しいことが多い。
やってみると、わかります。自分がいかに社会の半分を見ていなかったのか。
自分が社会の一員であること。社会は税金を払っている国や市町村のことを言うのではないこと。
自分が社会にできることがあって、それで社会は変わるのだということ。
社会の一員としての、誇りややりがいが、あるのだということ。
去年まで、壁の向こうに居た時分は、壁のこちら側に来ました。
もう、見てしまった今は、壁の向こう側には戻れません。
だから、壁のこちら側から、身勝手に書きました。
去年の自分が、このページを読んだら、どう、思うかな?
★ ウチのワンコたち ★
ちょっと息の詰まる話を書いたので、息抜きに。
寒い日は、ダンナの膝の上が、特等席。
「ダイ、ソラ、もう、お部屋で寝なさい」
「ふーん」
「どうする?」
「おりません」「べーっだ」
この後、もちろん、自分のお部屋に強制連行されました。
私のお気に入りのバッグ。もう、20年近く愛してきた。皮の取ってが長い袋。
取ってが、1/3ほど、無い…。
こんなになっていたら、もう修理もできない…。
怒りがふつふつと…
犯人は、もう、すでに姿を消している。
最近、私の怒りを察知するのが早くなった。
くぉらあああああーーーー!!!!
扉をすり抜け、階段を上って、どこに逃げようとした!?
お前の逃げ場はもうない!
もう…何も置いておけない。たとえ、バッグですら…。グスン。
コメントいただくとうれしいです。一言コチラから
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- 2018/02/15(木) 23:46:48|
- ワンコ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
頭の痛い話ですが、おっしゃる通りですね。
人間は生まれつき怠け者で、自分さえ良ければ
それでいいと思っている部分もあるようです。もちろん、私とて例外ではありません。
人は獣の一面はありますが、それでは駄目だろうと思います。人として成長する努力を惜しんではいけないと思います。
「生きる事は詰まるところ、人のために役に立つ」
と多くの精神修養書に書かれています。
ボランティア活動は文字通りその実践でしょう。
kumamaさんは、犬の保護のみならず、
その結果として人に役立つを行為をされています。立派なことだと思います。
私もその方向で、自分のできる事を
やる意思は持っています。自分を犠牲にしない
範囲で。
ブログで宮古の事を伝えたり、あるいは
日常でのほんのささやかな行為ー挨拶をしたり
道を譲ったり等などーをして、相手を
気持ちよくさせる努力をしています。
『あなたは「できない」のではない、「やりたくない」のです。』
その通りだと思いますが、あまり大げさに考えず
自他が喜ぶ小さな行為を積み上げて行きたいと
思っています。
まとまりの欠いた文でごめん。
- 2018/02/18(日) 11:00:23 |
- URL |
- kura #IWvj7qqM
- [ 編集 ]
すみません。すこし、強い口調で書き過ぎたかもしれません。
昨年までの私を、棚に上げて…。
なんでもいい、小さなことでもいい、ひと手間、自分のためでないことをする。
その余裕がないほど、忙しい日本。
日常にボランティアが入り込む余裕がない。
本当は人のことを思いやれる能力が高いんだと思うのです。
- 2018/02/18(日) 18:42:30 |
- URL |
- kumama #-
- [ 編集 ]
ボランティアって、自分の時間を捧げるほど、好きな何かじゃないと続けられないと思うんです。
わたしも子供の手がからなくなったら、「美味しいモノを食べる子供の笑顔が見たい」と思って子供食堂を始めるかもしれない、はたまた猫の保護活動か…、この海を後世に残したいと、清掃ボランティアを始めるかも…。
それとも何もしないか?
でも、好きな何かを見つけたクーママは他の人よりちょっぴり幸せに思います。
わたしもいつか何かを始めたいな。
- 2018/02/18(日) 20:30:10 |
- URL |
- よーこ #-
- [ 編集 ]
正直言うと、ただ遊ぶだけじゃ、ものたりなくなったのかもしれません。
子供食堂、いいですね。猫の保護も、清掃ボランティアも。
守りより攻めの楽しみって、ところでしょうか。
- 2018/02/18(日) 23:05:37 |
- URL |
- kumama #-
- [ 編集 ]